どんな時も平常心で。
脳梗塞で倒れた父は、1週間ほどで退院となり、元の施設に戻りました。
右手が麻痺して全く動かなくなり、体全体が弱くなったようで、車椅子に座れなくなっていました。
ベッドで横になった生活で、食事はすべてムースです。食事の介助をしましたが、舌が上手く収まらないので、食事が口の中になかなか入っていかず、また入ったとしてもむせてしまったりと、1時間以上かかってしまいました。
心が折れそうです。
施設は人手が足りないので、食事の介助の協力をお願いされています。今までよりさらに重くなったので、やはり介助は欠かせません。
義理母も似たような状況です。
義理母の施設は、食事の介助に来れなかったら個人でヘルパーを使ってほしいと言われてます。
更なる出費は押さえたいし、頑張って行くしかない。
二人の食事の介助と洗濯物…永遠を感じる。
あと数ヵ月?数年?5年?10年?
私の精神が安定するためには、何事にも平常心でいるしかない。絶望、落胆、諦め、いちいち反応してはいけない。
今年は冬が来ないのか…沖縄
今日は日中の気温26℃で、蒸し暑い日でした。
アメリカの基地で働く軍人さんはタンクトップ姿で出歩いてました。
家では扇風機が回ってます。
今年の冬はどうしたんだろう。
4年前に、39年ぶりに雪が降りました。
実際には、沖縄の北部でみぞれのような感じだったようです。
そして、39年前の雪のことも覚えてるんです。
小学校での授業中、窓ガラスを叩く微かな音がした時、先生が「皆さーーん。雪ですよ!」って。
授業を中断して、みんなで外にでました。
が、触れることも、見ることも出来ませんでした。
音だけは、しっかり聞いたのですが…。
夏について、県外の人からよく聞かれます。
「沖縄の真夏は何度くらいになりますか?」
意外にも、31℃くらいなんです。
33℃もほとんどないです。40℃越えとかあり得ない。
暑い沖縄だけど、真夏はそれほど高い気温にはなりません。暑い期間はながいですが。
一年を通して、温暖です。
真冬の沖縄も真夏の沖縄も楽しめますよ。
いつでも遊びに来てくださいね。
脳梗塞も脳出血も長生きします。
私の家族に限ってなのか、義理母は脳出血で倒れて、実父は脳梗塞をおこして、20年になりますが、痴呆や麻痺はあるものの、食欲も旺盛で一応元気です。
二人が同じ時期に倒れた時は、いきなり二人とも死んじゃうんじゃないかと、あたふたし両方の病院にずっと通ってました。
そして、今までもいろんな事がありましたが、結果二人は乗り越えて元気にしています。
私はホントに思います。
「人って、強いんだ!」
「昔の人だから、内臓が強いのかなぁ」
ちょっと、意味の分からないことまで考えてしまう。
先週、再び脳梗塞を起こした実父も今週末には退院です。右手が麻痺してるのですが、痴呆があるので、リハビリは上手くいきません。
元の施設に戻れるだけでも、家族としては有り難いことです。
食事の介助など、施設に行く回数が増えるんだろうな…。
寿命を全うするまで、支えるしかないけど、この20年、危ない局面に何度も立ち会ってる私としては、いつでも思い残す事なく、もっとやってあげれば良かったと思う気持ちもなく、お別れができる自信だけはあります。
地域包括支援センターに通報された⁉️
「おじいさんのことで、何かお困りじゃないですか」
と、地域包括支援センターの人が来た。
特に困ってないけど…と思いつつ、一方的に話してきたので、聞いているとなんだか窮地に立たされた気分になった。
義理父のお世話や管理⁉️が行き届いてないような言われかただったから。
老人虐待を疑われた⁉️
この間1人で病院に行ったのが、悪かったのかも。
普段は付き添って行くけど、一応元気なので(88才にしては)自分の都合で病院に行ったりする。
私と病院に行く日を合わせても、もう行ってきたとなることもよくある。
でも、自分で動くのは良いこどたし、義理父の主治医も良く知っているので何も問題はないと思う。
通報は病院の職員か薬局の人かなぁ。
まあ、それは地域の目があるということで、悪い事ではないと思うけど、なんだかなぁ…。
センターの人は、しきりに私たちとの面談の日程を決めようとしてたけど、
「特に困ってないので、私たちが困ってから面談したいです。」と言って終わりにした。
普通に高齢者と生活してるだけなのに。
家庭生活って、他の人からは見えないものだから、仕方ないのか。
毎週日曜日に来てくれる義理姉でさえ、「お父さんも家族として考えて‼️」と私にもっと世話を焼くように言ってくる。
ちょっとビックリな言葉で、あの言葉が耳から離れなくなった。
義理姉からみたら、私は義理父のお世話が足りないと思ってるんだ…と。
やっぱり当事者じゃないと、何も見えないし分からない。
私はこんなに面倒をみてますなんて、別に言うことじゃないし。
ただ、以前病院の待ち合い室で知らない人から、「あんたは、おじいさんの娘ね?義理の娘ね?」と聞かれて、「義理の娘ですよ」って答えたら、
「いつも仲が良いね」って言われた事がある。
その人は私たちを数回見たことがあって、気になったらしい。
娘に見られたことは嬉しかった。そういう風に見てくれる人もいるんだ。
義理父はもはや私にとって、父以外に何者でもない。娘として自然に接しているだけ。
通報されようが、義理姉に認めてもらえなかろうが。
父の脳梗塞…落ち込んでもいられない。
思いの外、父の脳梗塞は軽かったけど、右手の動きが悪くなったので、自力での食事が難しくなった。
私にはとっては、ただ介護が重くなっただけのこと。
思うこと、言いたいことは山のようにあるけど、
誰に何を言ってもどうしようもない。
せめて父が立派じゃなくても、普通の父親のようだったら、まだ介護もさほど苦ではなかったのかなぁ。
父はホントに変わった人だった。私が短大卒業するまで一緒にいたけど、心が通ったという記憶がない。多分、今で言う発達障害という病気だったかもしれない。仕事をしても長続きせず、いつも母とけんかしてた。
父が、倒れてからの方が、娘として優しくなれたと思う。反面、父親らしいこともしてないのに、なんでこんな面倒を見ないといけないの…とジレンマもある。
あまり考えすぎると、どうしようもなくなるので、日々を淡々と生きるしかない。
家族って、色々だよね。その家族にしかわからない苦しみや悩みはあるはず。
だから、私も乗り越えて、すべてを受け入れて、そんな親でも最期には感謝できるような生き方をしたい。
父、こんな時に脳梗塞。
父が入所している施設から連絡があり、「脳梗塞の疑いがある」というので、救急車で病院に行きそのまま入院した。
昨日は同居の義理父が、頭がフラフラするというので、1日寝ていた。糖尿病なので、悪くなったかなぁ…と思ったけど、今日は少し良くなったらしい。
明後日は、次女のセンター試験なので、バタバタしたくなかったけど、父の様子が気になるし、数日は付きっきりになるかもしれない。
病気は日を選ばないけど、せめて次女の勝負の日は避けてほしかった。
色々な事って、案外重なったりする。
義理母が脳出血で倒れた二ヶ月後に父も倒れたし。
二人とも、同じような時期に退院したり、施設が変わったりと20年近く、そんな状況にある。
だから、義理母が体調を壊さないように願う。
重い介護はしたくないけど、いつそうなってもおかしくない老親3人。
これ以上悪くならないで、ピンピンころりでお願いします。
心の拠り所は姉
久しぶりに姉に会った。
近くに住んでいるのでよく会うけど、
先月から体調を崩していたので、今日久しぶりに会った。
やっぱり嬉しい。
20代の頃は仲良くないときもあったけど、
今は最大の理解者で、共に闘う同志です。
共に闘う相手は母親です。
姉も私も感じてた母に対する感情。
母は私たちを支配し、思い通りに動かないとすぐ怒る。
暴言を吐くし、いつでも機嫌が悪く、突然切れる…。
いわゆる毒親だと思う。
何度も闘ったけど、結局 学んだのは、闘ったらダメ、絶対理解し合えないと。心が疲弊するだけ。
だから、母の機嫌をとるということが、平和に過ごす唯一の手段だと学んだ。
お互いに母とけんかした時は、思いっきり母の悪口を言う。母の行動、言動をお互いが手に取るように分かるので、同調し、励まし合って、笑い合う。
それで、取り敢えず感情は収まる。
私は姉がいるから、姉は私がいるから、母との距離を保ちながら優しく接することが出来ている。
仕方ない、親なんだから、最期まで二人で面倒みようと思っている。
もし、1人なら母の激しすぎる性格に押し潰されていたと思う。距離をとり、連絡を断つことも自分を守ることだと考えたこともあるし。
50を過ぎても母の呪縛が続くとは思わなかった。
世の中に、毒親で苦しむ人がいないように願いたい。本当にどうしようもなく、意味のない闘いだから。