野村監督の死去に思う。
ほんの1週間前まで、元気な様子だったという野村監督。
奥様を亡くされて2年ほどですが、きっともうお会いになって仲睦まじくしていると思います。
心からご冥福をお祈りします。
野村監督も奥様も、誰のお世話にもならず、好きなことをしてピンピンころりで逝ってしまった…あまりにも潔く天晴れです。
病気も介護も家族には見せなかった。
私にしてみれば、羨ましい限りです。
介護は人それぞれで、全く無関係な人もいるし、短期、長期、ずっと関わる人もいます。
そればかりはどうしようもない。
どうしようもないけど、20年介護をしていると、なぜか悶々としてしまう。
子育ては高校卒業までとか成人までとか、終わりがあるけど、介護はそれもない。
子育ては段々手が掛からなくなるけど、介護はどんどん手が掛かる。
介護される方も、する方も大変になってきます。
だから、人の生きざま死に際が気になります。
介護に関わってから、施設でも色々な人を見てきて、死に対してよく考えるようになりました。
野村監督、お疲れさまでした。
お一人で旅立ったけど、格好よく、立派でした。野球をやりきった人生、素晴らしいです。
姉夫婦の出会いのきっかけは…。
姉は35才の時に45才の人と結婚しました。
二人とも若くないので、早く子どもを欲しがってましたが、残念ながら恵まれませんでした。
数年間、二人で不妊治療にも通っていましたが、上手くいかず、年齢的にも諦めざるを得ませんでした。
結婚して20年近くになりますが、子どもがいなくても、仲良く楽しく二人で生活しています。
二人の出会いのきっかけは私です。
当時、姉も私も母との関係は最悪で、どうして30才過ぎてまで母親のことで、こんなに苦しむのか途方にくれてました。
父の訳のわからない行動にも、特に姉は限界でした。
私は結婚して家庭を持っていたので、両親と喧嘩しても、家に帰れば離れることができたし、小さかった子どもに癒されました。
ただ、両親と同居している姉の事が心配でたまりませんでした。
姉が絶望的になって、命を絶つのではないか…
突発的に母や父を殺してしまわないか…。
夜の電話が怖くて仕方なかったです。
それほど、私たちは当時切羽詰まってました。
あの家に姉を置いておけない…
私は姉を説得して、結婚相談所に連れていったのです。そこで3人目のお見合いの相手が今の義兄です。
姉は背が低いだの、10才は離れすぎだの、色々と言ってましたが、相談所の方が「一番推したい人ですよ!何てったって、ウチの登録者の中で年収が高い人ですから。」
その言葉が強力だったのか…
まあ、いい人そうだったので、決めたらしいです。
下世話な話ですけど…。
結婚しても、ホントにいい人で優しくて、姉どころが母も大事にしてくれるし、私たち家族にも優しくしてくれます。
子どもが出来なかったので、ウチの3人の子たちを連れて、毎年ディズニーや温泉に行ってくれました。
子どもたちには、2番目のお父さんとして何かあったら面倒を見るように教えてます。
姉が結婚して家を離れたことは、姉にとっても母にとっても良かったと思います。姉は離れたことによって、両親に歩み寄れた気がします。
思いきって、結婚相談所に行って良かった。
あのときは藁にもすがる思いだったので、まさかこんなにいい人がいるなんて、思いもしませんでした。
まさに良縁を戴きました。
父の治療は行わないという決意
容態が悪かった父は介護施設の観察室という部屋に入り、4日間点滴をしました。
今は無事安定したので、食事も取れ普通の生活をしています。
脳梗塞の後遺症で、右手も麻痺してしまいもう両手が使えません。食事は全介助です。
数日前、施設の担当医と相談しました。
私たち家族の要望として、病院での治療は望まないこと。
担当医はとても親身に聞いてくださって、
「そうですね、ご家族の要望なら、今後はホスピスに行けるように、取り計らいましょう。
実際、改善の見込みも厳しいですし。」
ということになり、すぐにではありませんが、
今後の道筋として、ホスピスに行くようになりました。
私たちの要望を父が理解しているか分かりません。
今の状態では、理解出来ていないと思います。
でも、今までのように病院と施設の行き来がなくなるのは、気持ちが落ち着きます。
そして、最期まで父を大切に見守っていく決意にもなりました。
ブログ開始から1ヶ月の感想
ブログ開始から1ヶ月経ちました。
ブログを書いて良かったことは
●一日一日を大切にするようになった。
ブログに何を書こうかなぁ…と思うと、一日をしっかり見つめたり、振り返ったりと大切に思う。
●気持ちが安定する。
身近な友人や家族には言えないことを、吐き出せる場所があると言うことは、心が軽くなる。
●他の人のブログで、色々な生き方に出会える。
ブログだからこそ、本心を語ってるような文章が多くて、生き方の参考になる。
まだ1ヶ月ですが、ブログある生活は楽しく感じます。
文章力や表現力が乏しくて、残念な気持ちにもなりますが、楽しみながら続けてみます。
日々の愚痴にならないように、少しでも誰かの助けになるようなブログを目指して、楽しみます。
父の容態が安定せず。
脳梗塞を起こした父が、病院を退院して施設に戻り
、1週間程経ちました。
まだ容態が安定しないのか、数日前から食事をほとんど取らなくなり、発熱も続いています。
施設の人は、また病院に行って治療した方がいいんじゃないかと言っています。
母も私も、本心はもう病院には連れて行きたくないと思っています。この20年ずっとそうでした。移動や手続き、面会時間に合わせる事、お世話…全て大変でした。もちろん病院の治療費も負担は大きいです。
ただ、今の父にこれ以上治療する意味があるのか疑問なんです。この施設で出来る限りの事をするだけで、家族としては満足なのです。
施設側との話し合いで、取り敢えず観察室で点滴をして、様子を見るということになりました。
容態が安定してくれたら、施設にいられるけど、観察室で手に負えなかったら、病院かもしれません。
落ち着かないです。
私たち家族としては、父は充分幸せだと思います。母は私たちが小さい頃から「離婚する、離婚する」と言ってたのに、結局離婚することができず、今まで連れ添いました。
もし、本当に離婚してたら、父はホームレスとか、孤独死をしていたと思います。
人と関わり合えず、仕事も長続きせず、どうしようもない父でした。私の結婚も、孫が産まれた時も何の関心もありませんでした。
そんな父をもう20年も面倒をみています。
お父さん、もう充分じゃない。
80才…まだ若いかもしれないけれど、精神的な病気もあっただろうし、身体もきつそうだし、食事も取れないから1日中寝てるし、そんなお父さんの姿を見てるのもつらいよ。
もう少しだけ、お父さんに付き添ってもいいけど、
そろそろ解放してほしい。
明日も点滴して寝ているであろう、父を見舞いに行かなくては。
介護に主体的になれない理由がある。
実父と義理母の、介護をしていますが、
やらされている感があるので、どことなく辛く感じています。
私自身としては、介護そのものは負担ではないのですが、周りの人たちにストレスを感じているのです。
実父の介護に関しては、実母の強いストレスです。
介護は全て私に丸投げです。私は実母が機嫌良く元気に自営業で働いてくれたら、それでいいと思っているのですが、世間体を異常に気にする母は、自分が父のために動いていると施設にアピール⁉️したいために、私と姉にあれやこれや指示して、コントロールします。
自分は行きたいけど、行けない…という理由付けや言い訳をつらつらと言う母に私たちは疲れはてるのです。
あっさり、いつもありがとう!っていってくれたほうがどれ程救われることか。
義理母の介護に関しては義理姉のストレスです。
義理母の介護より義理姉に気を使ってしまいます。
施設に行って、義理母の食事の介助をしてるだけでは足りないのです。あれやって、これやってとラインが届きます。
林檎を擦って差し入れしたら、
擦るより、細かく切って…とか、
えー、そこはありがとうじゃないの…と思ってしまう、自分に失望したり。
自分の思うような介護ではなく、実母や義理姉が実権を握り、私は従わされてるような、気分だからです。
私に丸投げするんだったら、私が動きやすいようにさせてほしい。でも、自分たちが主たる介護者で、主導権を握りたいんだと思う。
そんなの全然必要ないのに。
介護って、家族の関わりもあり、それぞれに主張もあり、やり方もある。難しい所があるのです。
仮に私の主人の介護だったら、誰にも何も言われず、自分のやりたい動きができるんだろうな…とふと思う。でも、主人の介護はやりたくない‼️
親父の一番長い日の1シーン
関東で働いている娘がいます。
去年の夏、彼氏を連れて遊びに来ました。
家族に紹介してくれたものの、主人は「ただちょっと付き合ってるだけだろ。すぐ別れるかもしれんし。」とぶっきらぼうでした。
今回は結婚の挨拶をしたいということで、訪ねて来ました。
スーツに身を包み、お土産の日本酒とチーズケーキを持って、緊張した面持ちで娘と共に玄関先に現れました。
そして、床の間に座り、主人と対峙して、緊張の中不器用ながらにも話し出しました。私は、彼のその真剣な気持ちと娘を大切に思う心が伝わり、不覚にもポロポロと涙が溢れました。
主人が彼の挨拶に応える番です。
その主人、言葉が詰まり、声が途切れました。
日頃より、娘の結婚相手は殴ると言ってたのに。沖縄空手の有段者の主人は正拳突きをするとも言ってたのに。
夫婦二人して、撃沈でした。
娘は3人兄弟の長女です。
この子が幼稚園の時に、同居していた義理母が倒れました。あまり構ってあげられず、いつも早く早くと急かして子育てしてしまったような気がします。
子育てと介護が同時になってしまい、そのイライラを長女に向けたこともありました。
私が毒親に育てられたので、反面教師にしようと思っても、つい私の機嫌で怒ってしまったり。
反省がいっぱいの子育てでした。
その娘が素敵な結婚相手を連れてきてくれた。
二人の幸せを願うばかりです。
ありがとう。